ちっぽけな存在論

(注)さて、このブログですが正直なところ製品開発とかだけを書いておりますと更新頻度が低すぎますので、穴埋め(?)のためにコラムというカテゴリーを用意しました。

今後不定期で或る人のコラムを載せていきます。釣りとは全く関係の無い話も多いですが、穴埋めですので気にしないでください。



 

なにかが存在するというとき、その裏には、数多の不存在が存在する。

 

言うまでもなく、都市はかつての原生林の不存在の上に成り立っており、我々という種ですら、淘汰されたかつての種々の不存在の上に存在している。

 

これを、「~と引き換えに」とか、「~の犠牲の上に」などというと恣意が入るので言わない。あくまで、何かの存在は、何かの不存在なのである。

 

こう考えると、「なにもなかった時代」は、なんとも「あらゆるものに満ち溢れた時代」であったことだろう。「なにもない”発展途上国”」も、「満ち足りた”国”」である。すべてが、裏返しに、なるのだ。

 

同様に、何かを持つということは、何かを持たないことである。我々の手は、いくつものものを持てるほど器用ではない。何かを持てば、何かを手放す。なんにも持ってないということが、実は一番可能性に満ち溢れているということは、この比喩からもわかるだろう。

 

先日、とある台詞を聞いた。

「てぶらが一番です。てぶらでないと、なんにも掴めません」