異形の美

美とは、何だろうか。

 

ある人曰く、美とは性選択における基準であるという。

 

なるほど、いわゆる美人というのは、其の顔、体つきについて相当程度左右対称、各パーツは適度な大きさで均整が取れており、いわゆる疾患などにより「崩れた」顔立ち、体つきとは対極をなす。まさに優良な遺伝子の体現といえる。

 

しかし、いわゆる芸術における美では、この性選択基準はあまり通用しない。

 

性選択基準は、いわばモノの平均付近をとったものが美ということになる。

 

身長一つにしても、あまりに高い身長や低い身長は好まれない。

顔立ちにしても、大きすぎる、あるいは小さすぎるパーツは敬遠される傾向にある。

 

もちろん、文化、時代により色々なバリエーションはあるが、一般的には、この性選択基準で言えば、極端なものは危険の象徴、即ち、疾患などの危険性ありという目印になろう。故に、平均付近に美が現れる。

 

しかしながら、芸術における美はもっと多様で、極端な大小、左右非対称、普通では有り得ない色や形など、むしろ平均からずれる方向に美を認めるケースが多々ある。

 

極端なものへの指向は、少し進化生物学に詳しい人ならばランナウェイ説を引き合いに出して性選択の範疇に収めようとするだろう。即ち、象徴化された何らかの特長に於いては、其の特徴が顕著であるほど良しと見なす性選択の方法で、たとえば、孔雀の羽などがよく引き合いに出される。

 

しかし、一般にそのような性選択の方法をとる場合、基準は単一であることが殆どだ。

 

たとえば、孔雀の雌は雄の羽の大きさ、立派さには敏感に反応するが、ヘラジカの雄の角の大きさには見向きもしないだろう。コブダイのコブにも、ムンクイトマキエイの着水音にも、鈴虫の音色にもなんら関心はないだろう。彼女たちにとって、美とは雄の羽の大きさ、立派さのみにあり、それ以外のものに美意識が発動されることは、近似なものへの誤作動こそあれど、そう多くは無いだろう。

 

一方で、人間の感じる美は、対象からその基準までさまざまである。

 

これだけ幅広いと、もはや性選択の基準としてはあまり役に立たないものだろう。

 

なにしろ、基準というのは、単一化されていればいるほど見分けが付きやすいし、数多の煩雑な基準は混乱を招くだけであるからだ。そもそも、我々は身体的特徴に対しては、平均付近を美と感じる戦略を有しているのであれば、芸術分野における極端なものへの指向はこの性選択的基準に明らかに反する。それでも、我々が孔雀のように極端なものを指向するのに特化した特長を身体的に有しているならば話は分かるが、そのようなものを私は知らないし、万が一そのようなものがあったとして、平均付近を美と感じる感覚には相反する。

 

中には、現代の学問(知)、文学、音楽、スポーツなどあらゆる文化活動を、性選択の結果生じたものだとする論もあるようだが、いくら知能が高いヒトと言う種であれ、そこまで多様な性選択の基準を有する必要があるだろうか。

 

あらゆる文化活動を性選択の基準にしてしまえば、どんなオスも、いや、男もなんらかの分野で抜きん出て、メス、いや、女に選ばれてしまう。これでは、選択基準として機能しない。

 

あるいは、女のほうも、数多ある基準を全て覚え、基準同士の関係をどう捉えるかで苦労するだろう。それよりも、たとえば、足の速い男ほど強さの象徴でありよしとする、といった、孔雀の羽に相当する単一基準を構築したほうがはるかに早い。

 

そしてそもそも、我々は身体・顔つきに関して言えば、平均付近を取る基準を有している。性選択には、この単一基準で十分ではないだろうか。

 

それでもあらゆる文化活動を性選択と結び付けたい人たちには、高度に社会・文化が発展した環境に於いて、身体的特徴だけの単一基準では判断が不十分になり、さまざまな基準が出没したと考えるかもしれない。

 

そして、基準が多くなりすぎ、更に性選択の本来の目的である相手を選ぶということのみならずモノや風景、事象にすらその基準たちが適用されている現状は、単なる誤作動、

副作用の類であると捉えられるかもしれない。


しかし、それにしても人間の美はあまりにも多種多様である。

 

閑話休題、ここからは、ひとまず人間の美の多様性の一部を見ていくことにしよう。

 

一、平均の美

 

これは性選択とも結び付けられやすい、平均付近の顔立ちを美とする意識に代表される。

 他にも、一定の基準に沿っているという意味での平均として、楷書の文字に対する美意識などがあげられよう。


二、大きさ、あるいは小ささの美

 

たとえば巨大建造物、あるいはミニチュアハウスのように、そのものの極端な大きさに感嘆し、転じて美を感じるケースがある。

 それらが普通のスケールであればさして印象に残らないものでも、スケールが極端であるとそれだけで美を発動させることがある。

 

三、珍しい色の美

 

見たことも無いような色使いの商品や、突然変異で生まれた色違いの生物に美を感じることがある。たとえば、ホワイトタイガー。同じ白黒でもそれがシマウマに於いてはなんら特別な美を生み出さない。

 

四、特定の音波の美

 

音楽、虫の音、川のせせらぎ・・・さまざまな音波に我々は美を感じるが、その法則性を見出すのは極めて難しい。もっとも、可聴周波数において極端に端の周波数は嫌われたり、ある種の倍音が好まれたりなどといったレベルの法則はある。これには雷鳴や獣の威嚇音など、進化戦略的に不快と感じる機構が備わっていると考えられるケースもある。

一方で、川の音や野鳥のさえずりなど、本来人間の生活にプラスにもマイナスにもならない音に魅力を感じる理由は、この進化戦略説では容易には説明が付かない。

 

五、懐古の美

 

たとえば昭和の風景など、当時の人にとってはなんでもなかったものが後世にはノスタルジーを含んだ美として評価されることがある。ともすれば川の音や野鳥のさえずり、あるいは自然の風景に美を感じるのも同じ機構によるともいえる。

 

六、異なりの美

 

異国情緒という言葉があるが、我々は懐古と同時に、見たこともないような風景にも美を覚える。もっとも、其処に住んでいる人にとっては取るに足らない風景であってもだ。

 

七、定型の美

 

音楽における各種法則、韻、俳句、短歌の型など、ある種の定型に美を見出すことがある。或いは、庭園における石の配置などに於いても、一定のルールがあり、美の典型とされる。


八、人工の美

 

自然界には稀有な対称性、整然性に美を感じるのは、西欧文化で顕著であるが、それに限らず比較的普遍性を持っているだろう。たとえば、整理された部屋の美など。

 

九、混沌の美

 

上記人工の美とは逆に、複雑怪奇な混沌、カオスな状態、或いは自然のままの状態に美を感じることもある。これは懐古の美とも絡み合っているのかもしれない。

 

十、異なる視点の美

 

同じものを見ていても、ある別の角度から見る、とりわけ、普通ではないような見方をするとそこに美を感じることがある。マクロ写真、などを参考にされたい。


本当はもっと色々あるのだろうが、ここまでにおいても、賢明な諸兄の中には既にお気づきかもしれない。これらの美には全て共通する性質がある。それは即ち、希少性である。

 

以下、希少性と一見相反する上記項目について取り上げてみたい。

 

まず、一、即ち平均の美、平均と書くとありふれたというイメージを持ちがちであるが、ご存知のようにこれは主に人間の身体、顔に対して発動される美である。

人間の身体、顔において、あらゆるパーツが平均的である人というのは、これもご存知のように稀有である。故に、美人とは稀有な平均顔の持ち主であり、平均の美はやはり希少性に基づいている。


二、三は取り立てての解説は不要だろう。文字通り希少性がベースとなっている。


四については、五に組み込まれる自然の音がいくらかあるが、その中でも、季節性のある虫の音などは希少性を見出すことが出来る。更に、いわゆる音楽のメロディは、自然界には存在しにくい複雑なもので、希少性を有しているといえる。


五については、かつてはありふれていたものの現在はないがゆえの「懐古」であるため、もちろん希少性を見出せる。


六、八、十は他とは異なるという点でやはり希少性を基にしている。


七、定型の美であるが、これについては希少性の定型化と考えるとよいだろう。

 

即ち、たとえば韻を踏むということについていえば、種種雑多な叙述に於いて韻が踏まれることは元来希少性の象徴的存在であったことだろう。そこに大きな美を感じた者達が、この希少なる韻というものを定型化していったと考えられる。もっとも、全てが全て韻を踏めてしまえば、おそらく韻に現在ほどの権威はなくなっていたことだろう。しかし幸いなことに、叙述の言葉の数、及びその組み合わせは制限があるため、無尽蔵に韻を踏むことはいつの時代も極めて困難であり、そのことがかえって韻の希少性を保ち続けてきたといえる。それは、俳句や短歌の型にも言えることだ。

 

九については、先にも書いたが懐古の美に一定含まれるものだろう。あるいは、人工化された現代に於いて逆に非対称性、混沌性が希少性を持っているという見方ももちろん出来る。


おそらく、ありふれたものに美を感じることは少なく、いわゆる美しいものには希少性が伴うことに異論を唱える方は少ないだろう。だが、もちろん、希少性は美にとって必要条件ではあっても、十分条件ではない。このことが、美と希少性の関係を見えにくくしている一つの要因ではないだろうか。美とは、希少性、他とは、異なるということ…。